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2017年9月20日(水) 小石川植物園に行ってみました (by take)
今回は、趣向を変えてちょっと足を延ばし近くにあるが行く機会がなかった名所の小石川植物園へ行ってみました。
天気は雲り、気温は28度と秋らしい爽やかな天気です。
地下鉄丸の内線・茗荷谷駅下車、駅前の春日通りを右手に約250メートル程行くと播磨坂さくら並木通りのT字路にさしかかります。
坂に沿って下ること500メートル程で「植物園前」信号に突き当たります。
信号を渡り、正面の路地を行くと植物園の塀に突き当り、右折し壁ぞいを行くとすぐに植物園正面です。
裏門もあり、駅からも近いでが入場できません。
茗荷谷駅から12・3分ってところでしょうか。入園料は大人(高校生以上)400円。小中学生は130円。
都営地下鉄白山駅から行く方法もあるようです。駅から約800メートル位、若干近いが池袋からだと前者の方が便利。駐輪場はあるが駐車場はありません。
園内の案内図、植物園の正式名称は、「東京大学大学院理学系研究科付属植物園」という長ったらしい名!
正門右側に厳めしい門札が 園内案内図の長いタイトル
園内に入ると左手にソテツの木と説明版があります。
何でも最初に蘇鉄の精子を発見した蘇鉄との説明書が、植物に精子?何とも解せないが、発見したのは、1896年、帝国大学農科大学(現 東京大学農学部)助教授であった池野成一郎先生との事、鹿児島市で生育していたソテツの固定標本から精子を発見したそうな。その株から株分けしたソテツが現在の物と言われてます。横にバナナ園も。南国気分です
ソテツ精子発見の分株らしい バナナ園が待っていた
左手の方へ歩くと珍しいメタセコイヤの林が、下の方には、ちょうど彼岸花が少し萎れているものの朱色が鮮やかに、何とも妙な光景
です。米国のセコイア国立公園には樹齢2000年以上、高さ80メートル以上のジャイアントセコイアの大樹もあるとか。
暫く進むと萩の花が咲いていました。
都会では珍しいメタセコイアの林 ちょうど萩の花が咲いていた
そのまま進んで行くと、生い茂る森の中にお稲荷様の鳥居が右手見えます。ちょっと不気味な感じがします。太郎稲荷と書いてありました。
萩園、梅園を過ぎると、素晴らしい日本庭園が広がります。遠くに赤レンガの洋館も、旧東京医学校本館と案内書に書いてありました。
日本庭園と旧医学校本館 松林をバックに日本庭園が
日本庭園の石橋を渡り、坂を上って行くと都内とは思えない昼間でも薄暗いスギ・ヒノキの林の林道に迷い込みます。この道で大丈夫かな〜と思うほど雑草が生い茂る細道です。
昼なお暗いスギ・ヒノキ林を進むと曼珠沙華が咲いていました。
昼でも暗い、スギ・ヒノキ林 曼珠沙華の群生も
かりん林、ユリノキ、菩提樹並木、精子発見の大銀杏、ツツジ園、ソメイヨシノ林、薬草保存園を通り、ようやく植物園本館に到着しました。
植物園本館とヒマラヤスギ 植物園本館全景
ゆっくり見て歩くと2時間位はかかります。
紅葉の季節、弁当持参で出かけてみたら如何でしょうか。
小石川植物園のホームページはこちら⇒
小石川植物園
2017年9月18日(月) 谷端川緑道散歩3 公園の塑像達 (by take)
2015年8月8日(土) 谷端川緑道散歩2 中町の橋あれこれ (by take)
2011年4月24日(日) 谷端川緑道散歩 その1(by take)
2008年10月26日(日) 春の夢(by tanaka)
平成19年6月14日
この春、旧友の薦めもあり 四国お遍路に出た、もともと宗教心はなく 昔の友達との会話の席で 「古希も過ぎ、ゆっくり旅行でもしよう」との話から出たことなのに いざ出発となってみると、都合よく同行できる者は一人としていない。本来のお遍路の姿、”同行二人”で出かけた。
春の彼岸より一週間、阿波、徳島県一番札所霊山寺より二十三番薬王寺まで周り 内、一番より十一番藤井寺まで まる三日は歩きで、その後は山道となり工程も長いため 難所は安易にタクシーにたより工程を消化した。
運良く天気に恵まれて、半日のみ小雨より他は、晴れの日が続き、日々是好日で、桜は満開、菜の花は見ごろ、
願はくは 桜の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ。
おおきな桜の木、満開の下で しだれ桜の街道にて
ちょうど菜の花も見ごろ。。。 階段を上って行くお遍路さんたち
四国11番札所 藤井寺にて 四国15番札所国分寺 目と下半身の病に霊験
まる二日付き合って頂いたタクシー運転手の言
「お一人で 歩きお遍路される方は ”なにか 哲学的で哀愁を含んでいる方が多いのですが”旦那さんは、心配事も少ない 幸せそうな方に見えますなー」
”もっと真面目にやれ” との意味合いが含まれているのか? ちょっと気になった。
秋の気候のよいときに、土佐をめぐる予定。(記 田中幸一郎)
2007年5月7日(月) 中丸中町50周年記念行事のお知らせ( by take)
中丸中町会50周年記念行事が無事終了いたしました。
終了した記念行事は以下の通り。
・50周年記念式典 2006年10月15日(日) 板橋第五小学校体育館内
・50周年感謝祭 2006年11月26日(日) 板橋第五小学校運動場
・50周年記念誌発行 2007年3月末日
町会の方々、近隣町会の方々および区長をはじめ板橋区役所関係の方々等各方面の参加ご協力に心から謝意を表します。
※中丸中町会とは、板橋区中丸町の1番地〜29番地までの区域です。
2006年10月14日(土) 中丸中町50周年記念行事関連のお知らせ( by take)
当中丸中町会が誕生して今年で50周年を迎えます。
そこで、町会では50周年実行委員会を発足させ記念行事を企画しております。
現在、決定している主な日程は以下の通り。
・50周年記念式典 2006年10月15日(日) 板橋第五小学校体育館内
・50周年感謝祭 2006年11月26日(日) 板橋第五小学校運動場
・50周年記念誌発行 2007年4月予定
※中丸中町会とは、板橋区中丸町の1番地〜29番地までの区域です。
2006年3月18日(土) 通勤途中下車でリフレッシュ(by tomy)
電車、バスなどを使って通勤をしている方は多いとおもいます。私もその一人。去年からチョット通勤方法を変えてみました。池袋から銀座まで地下鉄、バスで銀座マリオン前から晴海通りを南下し晴海一丁目まで通ってます。以前は全て電車で通勤してましたが、偶々帰宅時、銀座に所用があり、時間もあったので歩いて見る事にしました。
約30分程で銀座4丁目まで来れる事に気がつきました。時々朝も早めに出て地下鉄銀座駅から晴海通りを周囲を眺めながら会社に向かっていると普段は見落としがちな物が目に付き通勤途中が楽しくなります。
B8出口を出て向かい側を見るとソニービルとなりのビルの屋上に旗を両手にもった馬上の騎士?があるのを皆さんご存知ですか。さてこの馬はオスかメスかとかへんな事を考えてしまいます。(答えは後ほど)20メートル程行きますと鉄道模型で有名な天賞堂ビル(銀座4−3)、1階右角に見ていて思わず微笑んでしまう像が!
ビルの屋上に馬に跨った人が 誰にしようかなー
100メートル程行くと銀座の顔、四丁目交差点に差し掛かります。和光ビル側から三越側へ渡りしばらく歩くと三原橋交差点にさしかかるので横断歩道中央当たりで右手の方を眺める、と汐留のビル群が真近にみえます。こんなに近かったとは。歩道を渡りきってすぐ左側にあの有名な歌舞伎座が、まるで映画のセットの中に入ったような雰囲気につつまれてしまいます。歌舞伎座のとなりの七十七ビル一階入口左端のところに行商の女性がいつも座っています。
この辺りは気をつけて観ていると結構古い建物があります。そのまま築地方面に歩いて行くと、また珍しいものが!ビルの中に直径2メートル程の大きな樹の幹が(作り物ですが)うりきり屋と云うお店です。向かい側にも同じ名前の店があります。このビル新しいようですが独特な創りです。何でも有名な黒川紀章氏のデザインとの事です。店の1階右側ショウウインドウに大きな布袋様が飾ってあるのが目をひきます。
銀座のシンボル4丁目の和光ビル 三原橋交差点より汐留方面を望む
東銀座にある歌舞伎座 うりきり屋の布袋様
50メートルも行くと築地四丁目の交差点。築地といえばやはりマグロ!寿司!が連想されます。その期待通り、ありました、でっかいマグロの看板が。(実際には道路の反対側、築地場外市場と呼ばれているあたり)
マグロが出たらやはり刺し身は鯛、とキタイするのを見透かしたように今度は途轍も無くでっかい鯛が空に向かって泳いでいる(ように見える)。この鯛、夜になると目のところが丸い窓のようになっていて、灯りが燈りまるで本物!
築地四丁目には築地市場の他に、通りの左手側(晴海通りを晴海に向かって左側)に有名な築地本願寺があります。
築地4丁目交差から見えるマグロ ホテルTOKYU STAYの鯛壁画
築地4丁目交差点近くの築地本願寺 移転予定の築地市場とマグロ船
そのまま通りを400m程行くと鋼鉄のがっしりした橋に差し掛かります。
勝どき橋と云う隅田川に架かる珍しい橋です。橋の袂の銘文を読むと昭和8年に竣工し昭和15年に完成との事、この橋は大型船が通る時、真中がハの字型に開き、昭和45年まで開閉していたとの事。現在は開閉しておりません。
橋を渡りきった所に勝どき橋南詰(かちどきばしみなみづめ)というバス停があります。なにやら池波正太郎の時代小説に出てきそうな名前ですねー。向かい側は、月島第二小学校。そのまま歩き続け、都営地下鉄勝どき駅を過ぎ晴海運河に架かる黎明橋を渡ると左側に高層ビル群が広がっています。晴海トリトンスクエアと言う複合タウンです。向かい側は、鰹節の卸問屋が軒を連ねており晴れの日は鰹節の天日干しが見られます。実はここで通勤路は終了ですが、3月11日土曜日にこの先まで行ってみました。ちょうど臨海副都心十周年記念に当たり晴海埠頭に日本一の豪華客船「飛鳥U」(総トン数50,142トン、全長241m)が接岸するとの情報を仕入れたからです。
勝どき側公園からの勝どき橋 レインボーブリッジを通過した飛鳥U
フジテレビを背に接近する飛鳥U 接岸の為方向転換
駒澤大学吹奏学部の歓迎演奏 接岸完了
これから暖かくなります。天気の良い日は出かけてみたら如何でしょうか。(クイズの答:エルメスビルにあるからメスでしょうか?)東京港のことなら⇒
東京都港湾局・東京港
2005年12月9日(金) 日本刀(by tanaka)
先日、漫然とインターネットで眺めているとき目に止まったのが“日本刀で人は何人切れるか?
とゆうのが有りました。山本七平氏の3人説 成瀬関次氏の多人数説、殺陣師の説 他の人の文献を引用して記しているが。
鍛冶屋の私が見て一言
人を切るなら 曲っても切れる、刃こぼれしても切れる、折れても切れる、折れる箇所のもよるが、人を切ることが どのような ことかが問題ではある。相手にダメージを与えること、殺傷することであるならば であるが、
切捨て御免の時代においても 町人や農民を切ることは社会的諸条件の規制によりほとんど出来なかった。刀は当時の侍にしても高価なものでしょう、土地、家屋が お上の一存で回収された例が多いことからみて 不動産の所有権は侍にとっては無きに等しいのであり、
刀は唯一 又は数少ない高価な資産でしょう。
一度 戦えば 相手が刀を抜く前に 切り倒せば別ですが 互いに何度も 刀合わせして切り合いすれば その都度 刀の刃は欠けてノコギリの様な状態になるだろう、折れることもあろう。
いかに 達人といえども 懐から紙を取り出し刀身の血痕を“スー”と拭き取り 無理なく鞘に収めることは出来ないとおもわれる。チャンバラ劇では当然のしぐさではあるが おかしい。
刀を抜くことは 侍にしては一身上の重大事で 自身や一家が存亡の危機に立ち至ったときでなければ 刀は抜けない、一度 抜いて戦えば その後 使用に耐えなくなり廃棄となるか?
伝家の宝刀は 抜かないで置くときにのみ値打ちがあるようだ。
これを 真に受けると時代小説は成り立たなくなり 私どもの楽しみが無くなる。
好学の士にお聞きしたい、
侍は何本も刀を持っていたのか?
損傷した刀は修理していたのか、廃棄したのか?その方法はどのようにしたか。
幸一郎
2005年10月10日(月) 藤沢周平の世界展 (by tanaka)
藤沢周平の世界展へ行ってきました。10月5日夕刊で紹介していたので翌日世田谷文学館へ行く、展示内容は藤沢周平に関心のある者にとっては特段目新しいものはありません。
最近、映画化された“蝉しぐれ”や9月NHKの金曜時代劇で放映された“秘太刀 馬の骨”にスペースが割かれていました。
私としてはそれなりに再認識してかえりました。ただウイークデーのためか入館者は高齢者が多く老人クラブの体でした。
世田谷文学館 京王線 蘆花公園駅より5分 駐車場無料あり